2008年10月11日
都内某所の地下鉄駅階段でヒョンなことから足をふみはずし2−3段上のステップへ上半身が倒れる!片方の手はカバンでふさがっているせいで、空いている方の手で体を支えようとするも、本能的に体保全のためか両手で支える。左人差し指の根元付近がコンクリート製ステップの端でこすれて出血。足の方は下へずれる状態で実に情けない姿勢。すれちがいざまの他の乗客に「大丈夫ですか」の声をかけられる。「大丈夫です。どうも。すみません」と、当方。
その時、「感謝、感謝、かすり傷程度で良かった。これが手足の骨折とか捻挫になっていたら、又、朝夕のラッシュ・アワーの時、下から上がって来る乗客の列に対して「将棋倒し」状態で負傷でもさせていたら、大変なことになるところだった。ついてる、ついてる」の言葉が出る。普段から口癖になっている「ついてる、ついてる」の言葉が、こうしたピンチの時に出る。これは自分も或る程度は成長したかなと。昔だったら、「ちぇ、何だよう、ついてないなー。今日は。」になっていたと思います。動機の如何に関わらず、今まで入手して来た言葉の数々がこんな状況で役立つとは夢にも思いませんでした。
これも「感謝だよー、感謝だよー」という天の教えかもしれません。
親しくさせて頂いているメンターSYさんの言葉「共にいてくれてありがとう」、
斎藤一人さんの「ついてる、ついてる」「これで良くなる、だから良くなる、さらに良くなる」「今日はいい日だ」、
五日市剛さんの「ありがとうございます、感謝します」
ヒューレン博士の「愛しています、ありがとう、許します、ごめんなさい」のホ・オポノポノの4つの言葉、
小林正観さんの「嬉しい、楽しい、しあわせ」の頭文字による「うたし」理論
などなど他にも古今東西におけるスピリチュアル関係の諸賢人、諸偉人の言葉が「脳内収納庫」にあるのかもしれません。で、体の外部での出来事がスイッチとなって、その信号が脳を刺激して先の言葉が感想となって心に浮かんだのではないでしょうか。自分が自分を教育して行く「自己訓練」「精神修養」で御利益を受けるのは結局自分自身であることが、今回の「階段ふみはずし」で分かったような氣がします。
天は常に見ておられる。天常見。
天は常に聞いておられる。天常聞。
或る人に聞いた話です。「信号が赤で左右見ると車が1台も通っていない、わたるのに5mもない道幅の場合、信号待ちしている人が次から次に赤を無視してわたって行く。これは絶対にだめ。自分で運という時間のボタンの掛け違いを実施している。自分では2−3分、得したと思ってヒョイヒョイ道路を渡って行く。この2−3分が曲者で、時間のずれがそこから、始まっていることに御本人は気が付いていない。タイミングのずれが全てに及ぶ。いい事も悪い事も含めて全て。世間で運がいい人、やることなすことトントン拍子でうまく行く人にはこのボタンの掛け違いがゼロ。逆に今、少しトラブルかなという人は昔のボタンの掛け違いが今、出ているから、反省、反省の気持ちで軌道修正すれば、少しいい方向へ流れる」
この話はT字路での信号無視の車が覆面パトカーの「ネズミ捕り」に会っていた事例を数件、目撃していますから、実利最優先の「努力あるのみ」は良く理解出来ます。心正しく生きることは簡単なようで、一番難しいことかも知れません。人間には「努力あるのみ」も含めて「これぐらいは許されるだろう」「決め事の実行は明日から明日から」とか色々の「ずるさ」もあるようです。
スピリチュアル関係は難しい!「努力あるのみ」は、まだまだ修行が足りないのかもしれません。
都内某所の地下鉄駅階段でヒョンなことから足をふみはずし2−3段上のステップへ上半身が倒れる!片方の手はカバンでふさがっているせいで、空いている方の手で体を支えようとするも、本能的に体保全のためか両手で支える。左人差し指の根元付近がコンクリート製ステップの端でこすれて出血。足の方は下へずれる状態で実に情けない姿勢。すれちがいざまの他の乗客に「大丈夫ですか」の声をかけられる。「大丈夫です。どうも。すみません」と、当方。
その時、「感謝、感謝、かすり傷程度で良かった。これが手足の骨折とか捻挫になっていたら、又、朝夕のラッシュ・アワーの時、下から上がって来る乗客の列に対して「将棋倒し」状態で負傷でもさせていたら、大変なことになるところだった。ついてる、ついてる」の言葉が出る。普段から口癖になっている「ついてる、ついてる」の言葉が、こうしたピンチの時に出る。これは自分も或る程度は成長したかなと。昔だったら、「ちぇ、何だよう、ついてないなー。今日は。」になっていたと思います。動機の如何に関わらず、今まで入手して来た言葉の数々がこんな状況で役立つとは夢にも思いませんでした。
これも「感謝だよー、感謝だよー」という天の教えかもしれません。
親しくさせて頂いているメンターSYさんの言葉「共にいてくれてありがとう」、
斎藤一人さんの「ついてる、ついてる」「これで良くなる、だから良くなる、さらに良くなる」「今日はいい日だ」、
五日市剛さんの「ありがとうございます、感謝します」
ヒューレン博士の「愛しています、ありがとう、許します、ごめんなさい」のホ・オポノポノの4つの言葉、
小林正観さんの「嬉しい、楽しい、しあわせ」の頭文字による「うたし」理論
などなど他にも古今東西におけるスピリチュアル関係の諸賢人、諸偉人の言葉が「脳内収納庫」にあるのかもしれません。で、体の外部での出来事がスイッチとなって、その信号が脳を刺激して先の言葉が感想となって心に浮かんだのではないでしょうか。自分が自分を教育して行く「自己訓練」「精神修養」で御利益を受けるのは結局自分自身であることが、今回の「階段ふみはずし」で分かったような氣がします。
天は常に見ておられる。天常見。
天は常に聞いておられる。天常聞。
或る人に聞いた話です。「信号が赤で左右見ると車が1台も通っていない、わたるのに5mもない道幅の場合、信号待ちしている人が次から次に赤を無視してわたって行く。これは絶対にだめ。自分で運という時間のボタンの掛け違いを実施している。自分では2−3分、得したと思ってヒョイヒョイ道路を渡って行く。この2−3分が曲者で、時間のずれがそこから、始まっていることに御本人は気が付いていない。タイミングのずれが全てに及ぶ。いい事も悪い事も含めて全て。世間で運がいい人、やることなすことトントン拍子でうまく行く人にはこのボタンの掛け違いがゼロ。逆に今、少しトラブルかなという人は昔のボタンの掛け違いが今、出ているから、反省、反省の気持ちで軌道修正すれば、少しいい方向へ流れる」
この話はT字路での信号無視の車が覆面パトカーの「ネズミ捕り」に会っていた事例を数件、目撃していますから、実利最優先の「努力あるのみ」は良く理解出来ます。心正しく生きることは簡単なようで、一番難しいことかも知れません。人間には「努力あるのみ」も含めて「これぐらいは許されるだろう」「決め事の実行は明日から明日から」とか色々の「ずるさ」もあるようです。
スピリチュアル関係は難しい!「努力あるのみ」は、まだまだ修行が足りないのかもしれません。



