2009年11月20日
 ブログのライターは現在日本、世界を含めて一体どれくらいの人数になるのでしょうか。日記を毎日付ける習慣は子供の頃の夏休みの宿題で遭遇した「絵日記」が最初であるという人が大勢さんおられます。この文章を書く日記は物事を自分の視点から理解、把握してその時その時の感想を記載したり、あるいはイベントでの思わぬ状況発生などを克明に記述して「自分史」の資料になっている面があります。こうした子供の頃からの「癖」が受験世代に突入した時点での基礎学力になっていますから、親御さんは子供さんが小学校入学の時から「にっき」という言葉を耳にタコが出来るくらいまで何回も何回も教えられた方が将来、本人のためにもなるし、受験時代も難なく通過して公立の学費の安い、しかも卒業後は社会的評価が約束されている学校への進学も何なく進むことが出来る、というメリットが発生しますので、これは推薦可能な1つの方法のようです。
 会社勤めしますと、必ず文章を書くという作業が付いて回ります。営業日報、勤務日報、お客さんからのクレーム処理に際しての陳謝文、管轄機関である役所へ提出する暴大な量の「000書」などなど、実に新聞1年分くらいの量の文章作成が要求されて来ます。いくらニューメデイア時代だ、パソコンだ、やれ0007だと騒いだところで基本は「文章作成能力」に帰着します。ケータイをピコピコ操作しても画面に出るのは文章。日本語だったり外国語だったり、所有者の人種、国籍に応じて違いはあったにしろ、共通している点は文章にあります。この文章がお互いの意思疎通の基本的手段であることは古今東西全く変化なしです。
 これからも人間社会が存続する限り、その人の人生最後の「死亡診断書」「火葬許可書」に到達するまで文章から逃げる事は出来ません。1つの「運命」であると思って「諦める」しかないようです。それだったら、何とかしてこの「敵」を自分の中に取り込み、人生を楽に過ごす工夫をした方がいいのかもしれません。国の司法、立法、行政という3権分立組織でもその文章量たるや積み上げれば富士山の高さの数千倍はあると思われる量が処理されています。今、公文書館のコマーシャルが流れていますが、過去の日本における資料を見ても古語という分類にはいるものも含めて全てが「日本語表記」です。厚さ10センチはあろうかと思われる「漢和辞典」「国語辞典」も全て日本語の説明。普段、意識しないで使用している「漢和」という言葉は「英和」と対比して見る時,「漢」という外国の言葉たる漢字を日本語に「翻訳」した内容ですから、漢和、これと逆に大和言葉を漢字にするのだったら「和漢」辞典にすべきですが、何故か「国語」辞典になっている。理屈をこねても社会では始まらないので現在通用している日本語を全て受け入れて日常生活を確かなものにする努力だけは欠かさない方がいいようです。

2009年11月19日
 この経済不況は何時になったらトンネルを抜け出せるのでしょうか。経済学者も予想だにしなかった状況悪化の中で企業経営者の皆さんだけでなく、財源の予算配分を真剣に検討する政府の「事業分け」が進んでいます。家計でやりくりをしておられる主婦の皆さんと同じ心境で国全体の予算上の無駄を排除するという方針は一般国民の支持を受けているようです。本当はこうしたことは新政権だけでなく、もっと前から真剣に取り組んでいくべきだったのかもしれません。扱う数字の桁数が国と家計では比較になりませんが、基本的考え方である「必要最低限」の費用に限定するという発想は両者共に相通じるものがあります。一説では日本だけでなく、国防費について根本から見直すという世界的傾向がある中、国連でもなかなか審議がいい方向へ進まない面があるとのこと。核軍縮を標榜しても議論がうまくかみ合わない。極論すれば世界が真の平和な状態になれば国防そのものを考える必要はないのかもしれませんが、「裏切り」行為が日常茶飯事的に露呈する某国のような事例も実際にありますので油断はできないようです。
 ちょっと前にブームというか話題になった映画の題名を文字って「ALWAYS 感謝」を今日のブログのテーマにしたいと思います。いつも感謝、感謝。国民1人のレベルから始まって地方自治体、国、そして国際社会へと駒を進めて地球全体が「感謝の惑星」になったとき真の平和が来るのかもしれません。地球サイズから見たらほとんどゼロに近い人間1人の持つ心の力の偉大さについて、特殊能力とも言える「神霊感知能力」を備えた人が地球全体でどれくらいの人数になるのかは良くわかりませんが、こうした「サイキック」能力を備えた一部の人達がマジックの世界で活躍されている現状では世界全体の恒久平和をこの彼らに期待することは少し無理かもしれません。マジックには必ず「種」があって,後から種明しをされると「なーんだ」ということになって誰もマジック・ショーに行かなくなる可能性があるため、マジシャン自身も「種明し」は業界タブー。「エンターテイメント」性を温存しておかないとTVでの特別番組も視聴率の数字を稼げない面があります。本当の意味での「サイキック」能力をどの様にして世間一般人に伝えるかが彼らマジシャンの課題ではないかと思いますが、彼らも生活がかかっていますから、この面は非常にむずかしい部分もあります。
 感謝する気持ちはやはり子供の頃からの「刷り込み」に待つしかありませんが、誰もが知っている「独裁者」が肉体的劣等感の持ち主であったこと。その反動として民族意識を盾にして全世界を戦争に駆り立てた歴史がありますから、児童憲章なるものと同じ内容の「児童心理憲章」の創設が望まれるところです。日本では「いじめ問題」がありますが、これは年齢に関係なく古典的「嫁姑」問題に始まって会社、色々の組織体などでも日常茶飯事的にあります。これは人間の持つ固有の課題かもしれません。1人1人はいい性格を持っていても「集団」になるとリーダーの考え方に同調する。そこには民主主義の原理である合議制もなく、ただ付和雷同的に全員がリーダーの意見に従うという面があります。個人では反対、全体では賛成。これは実際、自分の「個」の確立がない証拠かもしれません。残された課題はやはり「個人の努力」に待つしかないのかなーとも思いますが、時間的、経済的に限界がある中で最適の方向付けだけはキチンとさせる必要があるようです。

2009年11月18日
 1日24時間、丸い地球上ではどこかで誰かが働いておられます。日本でも夜間作業が余儀なくされる道路補修工事とか、商社、証券会社、銀行など海外証券取引所の時差の関係でモニター画面をチェック中の現場、夜間離発着に際しての空港管制業務、都市圏における市民の腹を満たす魚市場、青果市場、そしてコンビニ、スーパーを対象とする商品配送から全ての「陸」「海」「空」関係輸送も含めて何らかの仕事について一生懸命の一般人の姿というものがあります。個人的野暮用で朝早く始発で出る場合に昼間とは違うこうした人達の作業を目にしますと、本当に頭が下がる思いで「御苦労さんです」との言葉が出ます。車内のTV画面で放送されている最初のニュース画像についても実際の現場に居合わせていたカメラ・クルーの努力があって映像が配信されています。ラジオの場合もそうです。
 誰が偉いとかではなくて、全ての人が役目を持って自分の仕事をしておられる。社会は1人1人の結び付きで構成されていますから、1人として欠員があってはならない。健康と生活維持が基本中の基本ですから、お互いが助け合って生きる姿勢は古今東西普遍のものではないでしょうか。政権交代後、世間が少しでも変化するのかなーと見ていれば、マスコミで騒がれるのは体質的に変化がない現状についての諦観的報道が多いような気がします。明るいニュースを求めてチャンネルをひねる気持ちは誰でも共通していますが、1億3千万人の人口をかかえている日本では突拍子もなく明るいイベントそのものが季節的にもありませんから、仕方がないのかもしれません。
 季節が変わって12月の年の瀬が来れば、それなりに街の雰囲気も活気が出るのですが、今は丁度谷にあるような気がします。ここは我慢のしどころではないでしょうか。
 いずれ又、いい話の1つや2つも出る可能性があるのを待っているしかしょうがないようです。

2009年11月17日
 心を配ると書いて「心配」と読み、安心でない状態と書いて「不安」と読みますが、今の日本ではこの2つの言葉をほぼ同じ意味で使用する場合が多いようです。心を配るのはあれこれ人とか物事に対して気を使うことですから、いい意味を内包しているのですが、「先行きどうなるか精神的に不安を感じる場合」に「心配」になるという表現を無意識の中に口にしている面があります。心を配って対処していれば事故も防ぐことが可能となり、トラブルも事前回避出来て安心な状態になる筈ですが、所詮人間のやることですから、「へま」があって当然です。周りの人で「愛と思いやり精神」に豊富な人がいれば色々のアドバイスなり援助があったりして本人も安心な面もありますが、今の世の中、あまりにも忙し過ぎて他人のことを構っておれない部分があります。気持ちはその人に向かっていても家族のことを考えると「自分優先」になるのは仕方がないのかもしれません。天はその心と状況を良く理解の上、その「愛と思いやり精神」を持っている人について将来いつの日か「褒美」を下ろしてくれる、というようになっていますから、今度の時に頑張ろう、くらいの軽い気持ちでいるのがベターな生き方。人生で色々の経験、体験を踏むに従って、宇宙の真理とか、この世とあの世の関係とかを単なる書籍の上だけの知識ではなく、直接、体に、あるいは心、意識に「或る種の感覚」として感じることが出来るようになり、「あー子供の頃、近所の寺の住職が言っておられたなー」との感想が口から出るようになって来ます。人間1人残らず「来た道、行く道」を歩むようにDNAが仕組まれていて突拍子もない人生は存在しないように出来ているようです。ゲーム感覚で人生を生きている人、1回だけの人生だからと自分のやりたいようにやっている人など、枠組みは守りながらも自由奔放な生き方が性格に合っている人もおられます。新薬の開発はその病気の患者さんが100万人を超えないと企業での「GOサイン」が出ないとの話があるように、大量生産、大量販売、大量サービスというスケール・メリットを基本にした、俗にいう「投網商法」が流行している現在では、一本釣り方式で世間の「困っている」人へのサービス提供とか、商品提供をするのは企業にとっては魅力のないものに映るようです。個人1人1人の人生は天地万物一切を創造された創造主が責任をとってくれますから、常に天を見ながら自分の出来る範囲のことをキチンとこなしていれば自然と道が作られるような気がします。
 「社会のニーズがどこにあるか」は個人レベルで人生を考えた場合、自分が自分に対して「自分という人間のニーズは何か」を自問自答することで的確な解答が出てくるようになっているのかもしれません。現在「就職氷河期」と言われる中、今後の労働市場の中核をなす世代の安定就職が1つの課題となっているようですが、生きる上での方策は色々用意されていますから、平和な日本においては特別に深刻になる必要はないようです。それよりも長い目で見て将来的に安泰の活動を考えれば自分の性格とか体力、能力を基礎にして自分の好きな道へ進んだ方が得策のような気がします。感謝、感謝の中から色々な道が開かれて来ますが、日本と言う国にいる日本人の基本的精神構造である「礼に始まって礼に終わる」と言う面を忘れないで対処することも大切なようです。

2009年11月16日
 職業従事に際して或る会社なり個人商店なりに雇われる形で「就職」しますが、或る年齢まで来ると「定年退職」と言う名の下に「解雇」される場合があります。
 特に法人経営の場合,「内規」があって、その「内規」なるものも国の管轄機関が「00保険」とか諸規定の枠組みの中の1つとして把握している面もありますので、これはこれで「仕方」がないのかもしれませんが、現代社会における「中高年」の平均的「若さ」度は戦後直ぐの時代と比較しますと20年は若い。健康志向が高くて普段の生活に十分な注意を払っている人達が「自己管理」をしながらキチンとした態度で真面目にやってこられた面があります。こうした私的努力が「実りある」人生を形成していますが、能力のある一部の人達は自分の能力を活用してバリバリの「現役生活」を送っておられる。
 個人経営のトップで自分は世間一般の「定年退職」年齢に達しているにもかかわらず優秀な職員を「年齢」のみを解雇理由にして解雇する。どういう経営方針であれ、それは「個人の自由じゃないか」と詰問されそうですが、人間としての観点からは「筋の通らない話」かもしれません。00事務所なる「会計、財務、法律、医療、教育、設計、福祉」などの各分野で能力有る中高年の人達が自己の経験、体験を基礎に活躍されています。こうした00事務所のトップ経営者の年齢は80歳、90歳という人もおられます。自分だけは地位安定で現場でも現役。従業員として働いていたAさんは職場内での人望もあり能力もそのトップと同じかそれ以上あったにも関わらず「年齢」のみを理由に「解雇」と言うのでは、周りの職員も納得しない。トップ自身も自分の年齢を理由にその職場から去って「院政」的立場に変わるとか、後輩への相談に対してアドバイスをするとかの地位に移れば、それなりに「筋の通った考え方」ですから、その職場の従業員も納得する。こうした「人間性」に基礎を置いた人事上の「判断」であれば、たとえ「世襲制」があったにしろ、下の従業員は気持良く仕事に取り組めることになるようです。「うちのトップは話がわかる」と。人間は変なところで「平等」「公平」「差別は駄目」「仲良く」という気持ちがあるせいか、他人に対しては,こうした「善」なる考えを無意識の中に強要する部分があります。世間が人で構成されている以上、「人の感情を無視した」判断というのは回り回って最後は自分のところへ戻って来るのが「宇宙の法則」ですから、この点は1億3千万人全ての人が心しておく必要があるようです。