2009年11月2日
 世間一般での商売は「売れて何ぼ」の世界。売れる商品、サービスを提供し続けていれば必ず安泰になる筈ですが、安泰にならない理由はどこにあるのでしょうか。その商品なりサービスが一般消費者の「必要を満たしていない」から一般のお客さんが見むきもしないでパスするだけのことかもしれません。人気商品が入荷すると店の前には人、人、人の波。我がちに先に入手しようと焦る人達が大勢さん店の中、外にあふれかえる。特に「限定000個、先客200名様まで」の張り紙を見るとお客さんの表情が直ぐに変わります。それ程の人気商品なら自分の店でも販売したいというのが他の業界の人達ではないかと思いますが、「モチは餅屋」の喩通り、お客さんの方も「この商品は、あの店」という風に普段から知っている人が大勢さんおられますから、急によその店のマネをしたところで「そうは問屋が卸さない」面もあります。
 エレクトロニクス専業の企業が他の会社の儲かった話を聞いて多角経営の名の下に000事業部を新規に設置して人材をその業界からスカウトして形だけ模倣しても「精神」が入っていない「張り子の虎」みたいなものになる可能性があります。しばらくすると案の定め「業界から撤退」のニュースが経済紙を飾ることになる。今、はやりの「00ファンド」もこの傾向があります。雨後の筍の如く数百以上もファンド、ファンドの案内が経済紙に掲載されていますが、一般の商店のようなオープン価格ならいざ知らず或る程度の法的規制がかけられていますから、期待した以上にお客さんが寄って来ない面もあるようです。一般消費者は知恵がありますから、どんなに「ラッパを吹いたところで、必要のないものは購入しない」という冷静さがあります。
 そこで経営者に要求される考え方というのは常に市場から見た自社製品の適合性をチェックすることのみ、という1つに集約出来るかも知れません。後のこまごまとしたことは「作業」の部類に入る業務ですから、トップは一般消費者の「必要」を如何に満たすかの課題のみを追及していれば、その企業は安泰の状態を堅持出来るのではないでしょうか。
 個人消費者も会社も「必要でないもの」は購入しない。購入するのは「必要なものだけ」。当たり前と言えば当たり前ですが、この基本をキチンと抑えて「買付け」なりの準備をしないと、最終的には「在庫の山」に泣かされることになるようです。どんなに技術が進歩しようと、生活が便利になろうと、基本行動は一般消費者の場合、「必要なことだけ」と言う古今東西普遍の「真理」は不動かもしれません。

2009年11月1日
 今日から11月で明後日の3日は文化の日。一般庶民にとっては「雲上人」同士が「褒め合う」仲良しクラブ的な日ですが、一部の00勲章受章者にとっては何桁かの「終身年金]がもらえることが嬉しいとの話も聞こえて来る部分もありますから、それはそれで「価値ある」受賞かもしれません。しかし、これも国民の「血税」であってみれば一般庶民からの色々の「批判」なり「やっかみ」の1つや2つも出て当然の様な気がします。戦後数10年間で受賞対象者の人数も大変な人数に達しており、「恩給」と併せて「一般の年金」も加算しますと、この平成不況の時代、国民の負担が増加する傾向は回避出来無い状況にあるようです。
 一口に「文化」「文化」と言ってもその定義は難しく、対象となる分野の特定化は大変なものがありますから、担当官庁の係りの人達も「受賞対象者」の「実績」を評価する際の作業は難題山積ではないでしょうか。某国のトップが「実績無き前倒し受賞」をしたノーベル平和賞とは違って、民間の各業界人の目が光っていますから、「実績無き受賞」をした者に対しては「ヤンヤ、ヤンヤ」の非難を浴びせる事が容易に想像出来ます。それ程、日本という国は「狭い」国土において国民1人1人が顔をひっ付けながら生きて居るという現状があります。1人1人がお互いの行動を監視しているのではないでしょうか。「業界」の掟もあって「新人」は必ずと言っていいくらい「バッシング」を受ける。これも聞いた話ですが、区議会の「新人議員」は1年間、絶対に口を開いて「あれこれ」ものを言ってはならないそうです。区民である選挙民にしてみれば「陳情」と称して「新人議員」にお願いに行きたくなるのも当然ですが、暗黙の掟が区議会にある以上、「陳情」内容は先輩議員にそのまま「丸投げ」にするそうです。
 どの業界でも生きて行くというのは苦労が付き物。その苦労を勉強だと思って、どこまで我慢できるかが大切なようです。
 人は誰でも例外なく、この世に「さよなら」をする日が来て、あの世の「新人」になる。多分、この場合の「新人」は地上界での「ピッカピッカの1年生」よろしく新品のランドセルの中には「地上界での経歴書という」本が入っているのかもしれません。天国はまだ行ったことがありませんから、どんな所か全く検討がつきませんが、昔のCMソングにあった「天国いいとこ。一度はおいで。酒はうまいし、ねーちゃんはきれいだ、あ、はー、あ、はー」の様な、いい場所であればな〜、との希望、願望は誰もが持っているのではないでしょうか。

2009年10月31日
 生きて来たという事実さえあれば何もこの世で「成果」を形ある物として残す必要はないと思います。
 某作品にある如く古城の跡地には石垣の基礎が残って居るだけで栄華を極めた城は影も形もない実に「ツワモノの夢の跡」そのものです。このツワモノ達は時代こそ違っていても今生きている貴方かもしれません。「出世したいなー、あの天守閣にいて自分の藩の領土を眺めてみたいな〜」などなど妄想に耽っていた過去の武将達と同じ様なこと、たとえば「あの様な立派な本社ビルを持ちたいな〜」と現代の貴方が思っていたとすれば、過去の武将と今の貴方は同じレベルの人間かもしれません。「成果」だけに心を向けると形を求めたくなるのが人情ですから、今まで生きて来たという「事実」だけで立派に「あの世の天国に入る資格」はあると思います。誰が貴方を評価しようと、たとえ悪口を言ったにしろ、死んで後の貴方の耳には音として入って来る事はありません。天地万物一切を創造された創造主は生前の貴方については何も要求はされないし、地上に形あるビルが自分の「成果」ですと主張したところで創造主は何も褒めてくれないかもしれません。それより、「人に親切に人に生きる喜びを与えて助け合って生きて来たか?」の心の面を重要視されるのではないでしょうか。そんな気がします。地上の財産とは言っても宝石にしろ石油にしろ、全ての天然資源が創造主の被造物であり、地上で人間が勝手に「財産」として定義付けている「モノ」は神様の手の平の上に既に存在していたものです。親がプレゼントした玩具を自分の「物」だからと主張して玩具の取り合いをしている幼児達のレベルと同じかもしれません。国レベルでの戦争も内部的な紛争も理由の如何を問わず「幼児がもてあそぶ玩具のレベル」ではないでしょうか。企業同士の競争でもそうですが、1つのルールでの経済活動もその主眼点を一般消費者に置く姿勢さえ堅持していれば安泰のようです。
 基本は1つ。地上万物は創造主の被造物。命すら被造されたものであって、深く考えますと「自分」すら自分のものではなく、「与えられたもの」であるという結論に到達しそうです。目の前に大勢さんがいても、その人達1人1人も被造物であって観念的には「被造物」という枠の中から出ることは不可能なようです。果てしなく広がる宇宙空間の映像を地球に送信してくる「ハッブル電波望遠鏡」という衛星が我々地球人に与えた「意識改革」は真の意味での「平和」に繋がってほしいものです。「ツワモノの夢の跡」が地球そのものにならないためにも。。。。。。。。

2009年10月30日
 このブログも最初は周りの知人のみがちらっと見る程度でしたが口コミの力で多くの「読者」さんが増えておられるようです。皆さん1人1人社会人で御自分の仕事を持っておられますから、ブログ・ライターの立場としては領域を侵すことなく部外者の立場からしか物を言えない面があるのは十分知っているつもりです。中には見解の違いからアドバイスとか文句の1つや2つを聞かされますが、「公開」という特質上、どうしても右左に偏ることなく「中央」を静かに歩く態度が要求されますので、これは心して作文の必要があるなーと思っています。日々の生活の中で体験したこと経験したことを自分の言葉で発表するのが「筋道」の通った方式ですが、時には感情的な面が出るのは仕方がないとの諦観もあります。
 人の職業は人の数だけあります。皆さん1人1人が世間でためになる仕事をされてきたから今キチンとした生活が成立しています。何も誰かさんから公的にあるいは私的に「あんたは偉い」と言われて表彰されなくても自分に与えられた「命」をこの世でまっとうすれば世間でいうところの「成果」を気にする必要はないようです。桐の箱に入っている000勲章も工場の製造現場では機械の前で職人さんが「ガチャコン、ガチャコン」とプレス作業。中間製品としてプレスされたものがバケツに抛り投げられて次から次へ各工程に移動され台車に乗せられて最終段階の桐の箱へ収まる。賞状の類もコンピューターに入力されたひな形の文章の一部分にオペレーターが受賞者の氏名を入力して毛筆体でプリント・アウトしていく。単純な流れ作業で数百枚の賞状が印刷されていきます。仕上がった「製品」は、しかるべき公的機関の担当者の元へ運ばれ後日代金が口座に振り込まれる。授賞式が開催されて「お偉いさん」が受賞者に手渡しして一件落着。喩話として適切かどうかは良く分かりませんが世界最高と言われているノーベル賞でも「あんたは偉いと言って人が人にあたえる」賞であることに変りはないですから、某国のトップが「前倒し受賞」したノーベル平和賞にアレコレ文句をつけてはいけないようです。所詮、人間が人間に対して与える「評価」であって「絶対的」なものはこの世に存在しません。「評価」そのものが天地万物一切を創造された創造主からのものであれば考え直すこともあるかもしれませんが、宇宙から見た「砂粒サイズ」の生物同士が賞賛したところで「仲良しクラブ」でのイベントに過ぎない。帰天して神様から「この地上で一体何をしていたか報告しなさい」と聞かれたと仮定して、どう答えたらいいのか、本当に迷うのではないでしょうか。勲章、メダル、賞状、資格証明書、000許可書、00大学卒業証明書、。。。。。全て人が人に与えた「人工物」であって創造主は全く興味、関心はないのかもしれません。「猿が猿に与えた,00ゴッコ」の物品に全く関心の無い創造主。昔、映画に「キング・オブ・キング」があって天地万物一切を創造された創造主のことが題材になっていましたが、宇宙時代の21世紀になって宇宙空間での長期滞在が可能に成っている現在、人々の「意識]自体も変化して来ています。こうして考えて来ますと、「成果」そのものに関心を向けることよりも「心に感謝があって人に親切にし自分の納得のいく生き方が出来たかどうか」に関心を向けて「自己満足」の状態になっていてもいいから、淡々と静かに生きるという姿勢さえあれば、それで十分なような気がします。

2009年10月29日
 人は時に応じて善意と悪意のいずれかを出すように出来ているようです。この善意と悪意の両方を一緒に出すという芸当が出来る人に遭遇したことはありません。
 営業で会社訪問したときにビル前にいる警備員につかまって行き先の部門の誰に会いに行くのだと怪しい目で見られる。彼らは職務上、マニュアルに従ってこうした下らんことをやっている訳ですから、理解してあげないといけない部分がありますが、まるで人を何かの犯人扱いする失礼なのもいますから、これも時と場合に応じて臨機応変に対応していくのが身のためです。少し訪問回数が増えて顔なじみになると、逆に向こうから声をかけて来るようになりますから最初は辛抱が肝腎。会社の担当者の場合も色々質問して来る。
 それも最初のうちだけで、これも回数が増えて顔なじみになればこっちのもの。後はキチンと仕事をこなすという基本さえ守っておれば何も問題は発生しないようです。
 俗世間でいう「新人」は全ての分野で周りの注目を浴びるものです。古参の「部族」が噂話にするのが「今度の新人のXXXXXサンだけど、あの人はXXXXXらしいね」とかの誹謗中傷の類が始まります。会社は一般消費者の「必要を満たす」のが目的で、そのための効率的運営を促進するのが経営者の役目。それを新人の1人1人について入社試験の延長みたいな事をやってどうするんですかと言いたいです。どんな業界でも儲けることを目的にして同業者が軽く500社はありますから、社内での人物評価作業は入社試験と面接で早めに切り上げて実践、実戦をメインにしていかないと競争会社に負ける可能性なきにしもあらずです。
 善意と悪意は企業社会でもあります。結果である利益額で見た場合、善意ある会社の方に軍配が上がります。これは一般消費者がその会社の従業員の態度を良く知っていることが原因かもしれません。一般消費者の口コミは金がかからず効果がある。1人のお客さんの口から出る「褒め言葉」が回り回ってその会社の業績UPにつながる部分もありますから、現場の担当者は一般消費者に接触する場合は相手が神様であるとの謙虚な姿勢が要求されるようです。