2009年11月15日
 競争よりも協調。
 日本社会は保育園、幼稚園、小学校、中学校。。。という具合に成人するまでの間に色々の段階の教育機関を経て知識とか、社会性を身に付けるようになっていますから、或る程度の辛抱という名の「訓練」なりが強制的に上から与えられる。小さい年齢の時からこうしたことが当たり前になっているせいか、特別にこの「しきたり」に疑問を感じることなく淡々とノルマである「宿題」とか「自由研究テーマ」をこなす。クラスの中で発表するとかの「諸体験」を積んで行きます。そしてその度に点数を何点という評価にして「知識」の獲得レベルを判断する。その評価が社会に出る際の1つの基準になってはいますが、或る程度の「目安」でしかありえない事を一般社会人は良く知っていますから、仕事の関係で知り合った相手の学歴はあくまで「参考」程度にしか理解していません。一般社会では業界、業界での経験、体験が「物」を言う面が多いですから、要は知識についてのレベルは普通に「読み書き」が出来れば何の問題もないようです。これだけネット社会になっている現在、「知識」はそのストレージ場所がどこにあるかさえ知っていればOKという便利な世の中になりましたので、昔のような「000百科事典」36冊シリーズなるものを書棚に飾る時代は完全に過ぎ去った感があります。ケータイ検索で地図情報も自由自在。本当に分厚い電話帳もいずれは「時代の遺物」になる可能性なきにしもあらずです。交通機関での「時刻表」も一発検索でOK.。実に便利そのもの。サイトのアドレスさえキチンと入力して保存しておけば日本全国どこへも思いのまま。支払い関係もケータイでのEマネーとか、ネット銀行の普及で便利、便利。
 こうした社会が学校時代を終わってから待っているということを事前に教えておけば学校時代での「競争」なるものがナンセンスであることに気がつく世代がこれから増えるのではないでしょうか。「競争よりも協力」という心的態度を持って社会に出ている方がこれからは社会に受け入れられるようになるかもしれません。実際、街中の各店での繁盛店は店員さんが「思いやり精神」のある親切な人が多い。同じ店の中で「社会は競争だから、あいつだけには負けられない」と思っていると、その気持ちが顔に出て表情が「いかつく」なる。お客さんが逃げる。その店員がいない日を狙って店に来るようになる。ちらっと見て店の前からその店員のいることを確認すると店に入らずパス。
 学校時代は「競争」が通用しても社会では通用しない。「協力」の精神でいないと、お客さんが遠のく。これはどこの店でも適用出来る原則のようです。店員同士が「競争」してどうなる。お客さんはショッピングを楽しみたくて来店しているのに、店員同士の間にある「競争」というベールに包まれた「冷たい雰囲気」にお客さんは「何なんだ、この店は。笑わせるなよ。同じ様な商品は他の店でも売っているから、そっちへ行くべー」となります。
 「競争よりも協力」。これはお客さん獲得のコツかもしれません。店の雰囲気が良くなるのは従業員同士が仲が良い状態になって初めて達成されるようです。
 学校時代の「癖」から早く「卒業」して、人間感情の生きた勉強をする従業員を増やすことが会社、店の経営者に要求されるポイントではないでしょうか。

2009年11月14日
 1年365日の企業活動が一体どれくらいの期間、将来的に存続し続けることが出来るか企業経営上のコンサルタント他周りの「人材」的人達も色々のアドバイスなり対策といったものを提言されたりして、何とかその企業の「存立」を図ろうとされています。
 国営企業として昔存在していた組織が現在では民営化の名の下で健全経営に努力をされています。「競争原理」のお蔭で一般国民は「安くて質の高いサービス」を受けることが出来るようになりました。旧来の「物の考え方」に固執して今でもマスコミ用語の「残党」と称するグループに席を「置いて」、「昔は良かった、あーでもないこーでもない」と四方山話に花を咲かせながらも「お、ケータイが入ってる。なになに、あ、そう。今帰るから」と時代の最先端のケータイの蓋を「パチン」と折りたたんで「電話もここまで変化か。昔、俺達の職場にはなかったよな。じゃ、皆、先に帰るから」と帰宅。こうした光景は全ての企業、業界で見られるようです。時代は1秒1秒変化しています。昨日の技術が今日来たら現場から消えていた、というのは日常茶飯事。ボーナスもらって海外旅行に行って帰国したら自分の机,イスがなくて座る場所がなかったとか、昨日まであった職場の店が朝行ったらシャッターが閉まっていて「閉店」の張り紙。従業員が騒いでいる、といった現場を見て来ますと、本当に、この世の中、油断も隙もありません。明日の命は誰も保障してくれません。自分のことは自分で、という風潮が自然発生的に誕生するのが都市部人間の持つ宿命かもしれません。
 企業が利潤追求組織である以上、世間の「資産」は「増殖」を狙って利潤のいい会社へと流れる性質をもっています。戦後直ぐの経済復興に一役買った某国からの「マーシャル・プラン」なる経済援助が今日の日本復興の原点であることは万人が知るところですが、この某国の方式は「経済封鎖」と「経済援助」の繰り返しという性質があって世界は振り回されて来たという印象があります。これは今でも社会のあらゆる分野で見ることが出来ます。今、こうしてデータを打ち込んでいるPCの基幹たるOSも98、XP,VISTAと変遷して最近の7にいたるまで、この「経済封鎖」と「経済援助」方式其のままをPCの世界でも踏襲している面があるようです。創造と破壊の繰り返しではありますが、アングロサクソン系の人種的な特徴かもしれませんが、こうした彼らの活動上の考え方の基本原則とは異なって、我日本民族系は「競争よりも協力」する方に重きを置くという性格ですから、新しいシステムが輸入されて来ても一度理解してしまえば、それを如何に分かりやすく皆に伝えるかを考え、そこに重点を置く面があります。
 新し物好きという性格が半分、残り半分は「皆んなにも教えてあげよう」という性格。これは某電気街に集まる5−6人の中学、高校生グループが電気小僧仲間を作って店先に置いてあるサンプルの電気製品をカチャカチャいじくっては、その中のリーダー格の人間がアレコレ教えている姿に見ることが出来ます。彼らが社会人になったとき、国際展示場か何かで業界人間を集めてセミナーを開催するようになるのかもしれません。日本人の良さを100%発揮する。世界が日本方式を採用する。競争よりも協力して知識を教え合うという「理想社会」の実現も直ぐそこまで来ているような気がします。

2009年11月13日
 人生の区切りとして良く使用されるのが20歳を「成人」年齢、60歳を「還暦」など数え易さも手伝って一般社会で慣用的に使用される年齢の「別称」があります。先頃亡くなられた某芸能人の年齢が98歳で新聞各紙は「白寿」の祝い前の「旅立ち」と報道されていたものが多かったようです。「白」の字に横棒1つで百になることを見ての「別称」ですが、他にも年齢遊び的な別称が多くあります。物事を直接的に表現せずに「遊び心」で楽しむ日本人本来のもので、衣、食、住の各分野で事項を別の表現にする歴史があります。その数たるや大変多くて1つの業界だけでも専用辞書が完成するくらいあります。一番、馴染みがあるのが寿司店で良く使用されている「醤油」を「むらさき」、「箸」を「お手元」、「勘定」を「おあいそ」、「わさび」を「さび」などでしょうか。他にもありますが、スペースの関係上,ここでは省略させてもらいますが、日常生活の中での表現の基礎は同じ日本人同士、お互いが譲り合いと助け合いの精神で生きるという「農耕社会、漁業社会、林業社会」の伝統が根強く残っているせいかもしれません。亡くなられた人を「故人」「仏さん」との尊称で呼びますが、これもその1つかもしれません。お金は足がないのに人から人へ移動するため「お足」と呼びます。こうした馴染みのある「別称」も使用はTPOに応じて「大人」判断をしないと恥をかくことにもなりそうです。
 これは日本語に限らず外国語でも標準語以外のケースがあり、隣国の中国でも北京官話、広東語、台湾語など違いがあるそうです。1つの母国語を例えば、日本語を「マスター」していると思っていても、新聞の隅から隅まで知らない漢字は無いと思っていても、世間は広いものです。検定試験の模擬問題集を見て「知らない漢字」の多さに驚いた経験があります。
 何事も油断は禁物。謙虚に物事を把握した上で他人の努力は努力として認める姿勢も大切なようです。

2009年11月12日
 過去、現在、未来という時間の理解の仕方があって、この時間を基準にして色々の事業計画なり戦略会議が開かれては諸種の企業活動が運営されて行きます。 
 マーケッテイング情報を的確に把握して人材、製品、システム構築、税務関係など総合的に判断して間違いのない「戦略」が完成した時点で「プロジェクト」が始動し始める。これはどの企業でも競争相手に知られることなく「秘密裏」に実施されますから、その企業の他の部署の連中も無関係のところは全く知らないという面があり、企業トップはこうした「戦略」の最後までマスコミは勿論のこと、「口の軽い」女子社員には1言も話さずに「沈黙作戦」を完行します。一般投資家は勿論、機関投資家の「大切な資金」を預かっているわけですから、その運用は本当に真剣そのもの。配当金目当ての一般投資家は「変動性」が高いですから、変化には弱い面があって、直ぐに「自己保存」に移ります。機関投資家の場合は豊かな資金力のせいか「大人判断」があって、「ガタガタ」したような面がなく、キチンとした対応があり安心出来る部分が有りますが、個人投資家の動きを見ていますと、自分専用の手帳に他人が理解不能の自分専用の「秘密記号」的なものを記載して悦に入っている人が大勢さんおられます。有限責任は逆に言えば「自分のことは自分で責任を持つ」ことですから、関係のない他人は株価変動には何のたしにもならない。実にシビアな世界に生きている人が個人投資家の実情ではないでしょうか。
 経済関係で良く耳にするのが企業トップに記者が尋ねる「今後の見通しについてですが。。。。」という質問事項があります。この言葉が一番「きつい」との感想を持っておられる経営者の方が多いそうです。過去、現在、未来の時間の流れの中で、過去は事実として残っているせいで理解が可能であり、現在についても「知る」努力さえすれば或る程度、他社の動きとか社会全体の「流れ」といったものは理解出来る面がありますが、こと「未来」「明日」については人間である以上「一寸先は闇」というのが正直なところではないでしょうか。天気予報も外れる場合があり、スポーツの世界でも「大逆転」なるシーンがあったり、で、とにかく、この「予測」が一番頭を悩ます対象かもしれません。
 株価の値動き、景気動向、個人レベルでは数字選択式宝くじの番号予測、売り上げ高、などなど生きる上での情報判断の中で本当に切実な問題を抱えているのが「予測」です。的確な「予測」が出来れば誰も苦労はしなのですが、たまに、予測が当ったり、外れたりして「ドラマ」の渦中に入ることを余議なくされる人達がおられますから、物事は全て「真剣勝負である」というくらいの覚悟で臨む必要がありそうです。
 先に述べた記者会見でも多くのトップは見解を述べるときは一呼吸おいて発言に慎重な態度を取られます。これが普通の人間です。特に社会的責任が高くなればなる程、その発言は色々な面で影響がありますから、慎重にならざるを得ない。「ちゃらんぽらん」な性格の人には企業トップはつとまらないようです。
 医者、弁護士など患者さんや依頼主の人生を左右する判断が要求される職業に携わっておられる人達は毎日が「予測」の連続ではないでしょうか。症状がどうなるか、治る見込みはどうか、依頼者の権利は守れるのか、裁判の結果は「有罪か、無罪か」等、実に胃が痛くなるようなことばかりを質問される訳ですから、その苦労たるや大変なものがあるようです。
 1時間が経過すれば時計は2時になるといった物理的に簡単に「予測」が出来る内容ではないのが実社会ですから、そこに「運」という考え方が発生して来たのかもしれません。

2009年11月11日
 「立木を見る」と書いて「親」と読みますが、「親切」という言葉にある「切」は、どうもしっくりこない面がありますから、同じ発音の「接する」での「接」に変える案はどうでしょうか。親しく接する状態で「道を教えてあげる」「重い物を代わりに運んであげる」「知識を教えてあげる」など人に親接にする、という表現の方が実際的な面とも一致して気分がいいと思うのですが。
 言葉は長年の積み重ねで変化したり、新しい概念を表現するものが誕生したり、使用されなくなって「死語」となるなど、毎年この年末が近くなると、「今年の流行語大賞」なるイベントで盛り上がったりして、日本人は言葉の重要性にいつも感心があるようです。
 マスコミの影響で狭い日本も標準語1つで大丈夫かと思えば、それが実際に地方へ行けば地元の人同士の会話について行けない面があったりして大変な思いをすることが良くあります。
 ローカルにはローカルの良さが残されていて画一化された東京とは別の意味でいい面がありますから、1つの「違い」として温存に努力する姿勢も大切なような気がします。
 ここまでPCが生活の中に浸透している現在、日常生活の中で「クリックする」「アクセスする」「ダウンロード刷る」「ID」「パスワード」等もドンドン使われるようになりました。「パスワード」は伊賀流忍者が昔使用していた「合言葉」のこと。「山」と言えば「川」の合言葉でお互いが仲間であるという認識標識みたいなものが「パスワード」。個人使用のサイトに自分専用の「パスワード」を付けて、サイトの「門番」に呈示する「半角英数字」のことですが、この「合言葉」を示して「ログ・インする」という表現も一般化されて来ています。こういった生活様式の変化に合わせた言葉の変化も普段良く注意していますと面白いことに気がつくようです。